チューリヒ州の州都であり、スイスの空の玄関口。銀行や証券会社の集まる国際金融都市で、世界の金融市場において重要な役割を担うほか、歴史ある建物が残る風光明媚な観光の町としても名高い。その誕生はローマ時代にさかのぼり、紀元前15年に設けられた関所ツーリクムがその始まりといわれている。9世紀に修道院や城が築かれ、商工業が興ったのをきっかけに都市として発展、13世紀に典型的な中世都市としての形が整い、1351年にスイス連邦に加盟した。16世紀にスイスにおける宗教改革の拠点となったほか、18世紀には教育者ペスタロッチが宗教改革に乗り出し、20世紀初頭には前衛芸術運動の中心地となるなど、町には、古い歴史を持ちながら新しい発想を吸収していく柔軟さがあふれている。チューリヒ大学をはじめとする教育機関も多い。
*紀元前1世紀ごろからローマ人に征服されたケルト系のヘルベチア人が
定住し、4世紀末までローマ帝国の属領として栄えた。しかし6世紀に
入るとゲルマン民族、フランク族の侵略を受け、それ以後ヨーロッパ
諸国家形成の波にもまれ、フランク王国、神聖ローマ帝国により分割・
併合を繰り返しつつ、小さな自治領に分かれていった。13世紀に入って
オーストリア帝国に支配されたが、1291年、3つの州が同盟し、1315年
に独立した。その後、オーストリアと戦いながら連邦をつくりあげ、
1648年に独立が正式に認められた。1815年ウィーン会議で永世中立国と
して認められ、1874年に連邦国家体制が確立。
*1519年、司祭ツヴィングリはチューリッヒで教会改革に着手した。
*1848年、連邦憲法制定(1999年4月に現憲法に改正)
*1986年、国連加盟を国民投票で否決。
*1992年の国民投票は欧州経済地域への加入を否決。1994年からEUとの4
年に及ぶ個別交渉で6項目のうち研究開発協力、商品規格の統一、政府
調達の自由化について合意済みだが、現在はスイスの方から加盟交渉を
凍結している。
*ホロコーストの犠牲者の預金返還問題ではスイスの銀行は12.5億ドルの
支払いに合意。
*1998年6月、遺伝子組換え技術への規制の是非を問う国民投票が行われ、
圧倒的多数の反対で規制は拒否された。
*1999年4月、スイスは金本位制を廃止。スイス・フランを金価格に固定さ
せる政策を放棄した。
*2000年5月、スイスの有権者はEUとの包括的な自由貿易協定を承認。EU
との経済関係強化へ向けて歩み出した。
*2001年3月の国民投票により「EU加盟交渉即時開始」は否決されたが、
政府は2007年までに加盟の是非を決定し、2008年以降に国民投票によっ
て民意を問う方針。
*2001年6月、PKOなどに軍を派遣することの是非を問う国民投票が実施さ
れ、賛成51%、反対49%の小差で承認された。これにより今まで丸腰で参
加していたスイス部隊も武装することになる。
*2002年3月、国連加盟をめぐる国民投票の結果、加盟申請することで決
定。9月10日の国連総会で承認、190番目の正式加盟国となった。
*2004年9月、国民投票が行われ、外国移民子弟の国籍取得を緩和する憲
法改正案が否決された。
*2005年6月5日、シェンゲン条約批准の国民投票が行なわれ、賛成55%で
可決された。また同時に行なわれたEU共通の難民政策を定めたダブリン
協定についても可決され、翌年国会で批准された。
*2005年9月25日、国民投票により就労や移住の自由を東欧などEU新規加
盟国10ヶ国にも認めることを決定。
*2016年、世界文化遺産にル・コルビュジエの建築作品に登録された。
スイスではレマン湖畔つくった小さな家(ヴィラ・ル・ラク(湖の家))
と、ジュネーヴに建設された集合住宅「クラルテ」の2軒。
*2018年英誌エコノミスト調査部門(EIU)住みやすい都市ランキングで前年
と比べ、チューリヒは15位から11位、ジュネーブは18位から14位へと順位
を上げた。
*2020年、スイスアルプスでは史上最高気温を記録し、スイス全体では史上
2番目に気温が高かった。
*2021年、世界の住みやすい都市としてスイスのチューリッヒは全世界7位、
ジュネーブは8位に輝いている。(英誌エコノミスト調査)
更新日:XXXXX.XX.XX